【0025】捨てる人と拾う人

人は「捨てる人」 と 「拾う人」のどちらかしかいません。

私ごとですが、一か月ほど前から毎朝出社した後に10分間だけ、掃除をしています。

会議室のテーブルを拭いたり、ホワイトボードが黒ずんでいるのをきれいにしたり、
水回りを磨いたり、紙コップ自販機の埃を拭い、紙コップ用のゴミ箱に付着したコーヒーの汚れを拭く。。。という様に。

この毎朝の掃除を始めたのは「初心忘るべからず」という自らの思いに由ります。

今から5年前、私が今の職場に配属されたときのことです。
「新人の自分は、仕事はまだなにもできない。何か自分でできることはないか。」
との思いから、毎朝一番に出勤して、
他の社員が来る前に、上記に挙げたような掃除を行っておりました。

朝一の掃除が2か月ほど続いたでしょうか。

ある朝、こっそり掃除をしていることが、他の社員にバレて(?)しまいました。
そして「そんなことしないでいいよ」と言われました。

それ以来、バレてしまった恥ずかしさと、「やらなくていいよ」
という語感が頭の中に残り、、毎日の掃除を止めてしまいました。

数年たった今、あの時に「掃除を止めてしまったこと」を悔いています。

その理由は2つ

① 自分で決断して始めたことなのに、周囲からの不意の一言に流され、やめてしまったということ。
  自分で決断したことを、信念をもって貫き通せなかったこと。

② 今現在、ルーズになってしまったこと。
  以前は、目についたごみを自然に拾う、という行為を常に行うことができていました。
  しかし、今となっては、少しくらい紙屑落としてもいいや、今忙しいから後で拾おう、
  という堕落した思いを抱くようになってしまいました。
  そんな自分に気づき、恥ずかしくなりました。

ここで、冒頭の言葉に戻ります。

昨日、通勤中に、歩きたばこをしていた初老の男性が、信号待ち中に、わざわざ排水溝に近づき、
おもむろに吸っていた煙草を捨てました。

この時に思ったのは
「この人は、今までに町に落ちているゴミを拾ったことがないのだろうか」
「排水溝を掃除する人や、周囲の人、周囲の動植物に与える影響を考えることがないのだろうか」
ということです。

普段から、ゴミ拾い・掃除をやっている人(=拾う人) は、絶対に、ゴミを捨てることはしないでしょう。

その方の煙草を捨てる光景をみて、自分は拾う側でありたいと、強く思いました。
ある意味、反面教師として、私に気づかせてくれたことに感謝です。

そして、「掃除をする=綺麗にする=好きになる」という関係が成り立つのだろうと仮説を持ちました。

例えば、小さいころのお気に入りのおもちゃ。
なんとなしに母からもらった、小さなオルゴールだったのですが、
どんなにボロボロになって、色が剥げても、きれいに拭いてホコリがたまらないように大切に
使っていました。

好きなおもちゃだから、ピカピカにする、という気持ちは人類共通?と思えます。

ここで順番を入れ替えて

ピカピカにする→好きになる という関係も、同様に成り立つのではないでしょうか。

とにかく掃除を始め、綺麗になっていく様を見れば
その対象に愛着がわきます(意識していようと、無意識であろうと、きっと。)

愛着がわくということは、別の言葉で言えば「興味・関心を持つ」ということです。

掃除をしていくうちに、
他に汚れている部分はないか、、、と様々な角度から観察することで
今まで気付けなかった部分に気づくことができるようになります。

すると、同じような目線を持った人がいることに気づきます。
そういう人を見ていたり、話したりするとまた、新しい気づきを得ることができます。

そんな、「自分がこうありたい」というイメージを体現している人の近くにいることで
自分自身が活性化され、より良い方向へと進んで行くことができます。

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今日の学び

「 掃除をすること = 好きになること = 関心をもつこと 」

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