【0004】馬鹿になる方法

書かないこと。

今年の四月一日より、社会人六年目に突入しまして、
一つ大きな懸念を抱えておりました。

それは

「バカになっている」

ということです。近頃、拍車がかかってます。

どのようなときにそれを感じるかというと、例えば

  • 日常会話でしっくりくる表現、言葉を選択することができないとき
  • 人に何か説明しようとしても、自分の思い描いたイメージを適切に伝え
    共有することができないとき
  • 自分が何を話しているか途中で分からなくなるとき(致命的)
     何かを説明しようとして具体事例をあげたりしていると
     そもそも何のためにこの話をしていたのだっけ???という状態になる。脳内迷子。
などです。
私が学生だった頃には上記に挙げたような「しっくりこない感じ」を覚えることは
今ほど多くありませんでした。
この頃は、日常の中に、文章を書くという行為が織り込まれていたため、
文章を書くことで言葉を操る能力を最低限保つことができていたのではないかと
思っています。

つまり、「書かないこと」で頭が回らなくなった、と。

小中高、大学では作文、読書感想文、論文、、と文章を書く機会が多くありました。
大学の頃は毎日mixiで日記をUPする、ということもやっていました。
しかし、社会人になってからは極端に文章を書く機会が減りました(始末書を除いて笑
何かを書くときも「メモを取る時は箇条書きでキーワードだけを残す」「説明資料はパワーポイントで作成する」というように、用語を搔い摘んで書きなぐることばかり続けて、
結果として「文脈・ストーリーを作る」能力がすっからかんになってしまったのですね。
なんというか、感覚としては、思考が断片化してそれぞれが離れ小島となっているような感じでしょうか。なんとなくもやもやした、すっきりしない感じです。
このブログ更新に関しても「何か言いたいこととは違う、でも適切な言い回しが頭に浮かばないな」と思いつつ、毎日格闘しております。
そこで、今は「文章でメモを取ること」を意識しています。
例えば
「目的を遠投(できる限り遠くに定める)し、その目的(未来)から逆算して
今行うべきことを、できる限り細かい行動単位に落とし込み、淡々と実行する」
という内容を考える場合、以前の自分は
「目的 遠投 逆算  細かい行動」
のように接続詞などすべて抜いて、ただ単語を羅列するだけのメモを取っていたのですね。
単語だけではストーリーが見えない→記憶に残らない→数日後に見返したときに何も分からない。。。と。 こんなことやってたら結果も見えますね。
ということで、自身の考えを客観的に観察するためにも
愚直に粛々と書き続けていこうと思い
今日の昼休みに滑りの良いペン5本と1000枚のOA用紙を汗だくになりながら
買ってきたのでした。
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今日のまとめ
「紙(とペン)は長い友達」
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