尊敬×憧憬×情景

独り言シリーズ。

sonkei

約一年前から身銭を切ってセミナーなどに参加するようになり

  • スーパーなビジネスパーソン
  • 大金持ち
  • 地位や名声を得た人
  • いろいろな意味でぶっ飛んだ人
  • 好きが仕事になった人
  • 社長
  • 起業家

といった方とお会いする機会が増えた。

そこで思ったのが

「尊敬するけど憧憬の対象とはならない」

場合もあるということ。

至極あたりまえのことだけど、

「めっちゃすごい!」

と思うことと

「めっちゃすごい!ぼくもそうなりたい!!」

と思うこととは違う。

以前、知人に誘われて講演に行ったら

講演者が有名なネットワークビジネスの教祖的人物でして(^^;

熱狂的な場の雰囲気に気おされて逃げ出したかったのだけど

逃げるわけにもいかず耐えて話を聞いていたら

華やかな豪遊生活の裏ではものすごい苦労していて、努力していて

その部分に関しては単純に「すごいなぁ」と尊敬した。

ある一つのことでぶち抜けるためには並大抵の行動量では敵わない。

そんなことを教えてもらった。

その一方で「憧憬」、つまり「その人への憧れ」「その人みたいになりたい」とは

さほど思わなかった(お金持ちでいいなぁ、とは思ったけど)。

思うに、「尊敬」という言葉は文字通り尊敬(リスペクト)はするけども、

そのどこかで

「彼(彼女)は自分とは違う世界の住民」

というように自分自身と切り離して考えている(=線を引いている)ニュアンスがある。

一方で「憧憬」という言葉は「素直な憧れ」を表していて、

幼少のころにテレビで見ていたヒーロー戦隊ものの主人公に抱く感情と一緒。

「かっこいい!」「あぁなりたい!」と思える存在。

ということで、誰かとお会いした時に自分が「尊敬」と「憧憬」どちらの念を抱くかを

注意深く観察しなければならない。内省しなければならない。

そうすることが、自分自身を知るための一つの材料になるのだと考えている。

具体的には、

ドラゴンボールにて、ギニューが「チェンジ!!!」と叫ぶように、

仮に自分自身がその御方と入れ替わったとして、

その「情景」を思い浮かべた時にどの程度違和感を感じるか、

その度合いを敏感に察知すること。

もし違和感が大きいようなら、

その「スゴイ!」という感覚は「スゴイ!」でおいておき、

「スゴイ人がこういうから自分もこうしなきゃ!」と思う必要はない。

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編集後記

マラソン攻略法の本を買いました。

自己ベスト更新に向けてちょこまか動いてます。

一日一新

渋谷のスタバ

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