このブログを始めて300日以上経ちました。
この期間「今日はこれを書いてみよう!」とスパッとネタが定まることもありましたが、
ほとんどは
「あー、今日は何も書くことが無いわー」
という日ばかりです。
いわば「文章を書けないことに悩み続けてきた300日」でした。
そんなこんなで、少しだけ(※)経験が溜まったので
このブログを開始した頃の振り返りを行います。
(※)身の回りに1000日や2000日以上ブログを連続更新されている強者ばかりですので、300はまだひよっこです
ブログを開設して
いざ投稿をしようと文章を書き始めたときに
「あれ?なにも書けないぞ」
と大きなショックを受けました。
高校の頃までは、作文の授業でもモリモリ筆を走らせている方で特に「文章を書く」ということに苦手意識もありませんでした。
それから約10年経つ内「なんかよく分からんけど書けない」という状態に陥ってしまっていたのです。
この理由を推察するに
- 文章を書く回路が劣化していた
- 目的の不足。文章を見直す気力が無い
- 日常を平凡化させてしまっていた
の三つが挙げられます。
文章を書く回路が劣化していた
自分が伝えたいことを表すためには
適切な語彙を選ぶ能力が必要です。
例えば「うるさい」一語とっても
- 五月蝿い
- 煩い
- 騒がしい
- かまびすしい
- かしまし娘
などいくつもの表現があります。
その中から自分の文章に最も馴染む意味と響きを持った単語を選ばなければなりません。
私がブログを始めたときにはその回路が劣化していることを思い知らされました。
自分のイメージにビシッとはまる言葉を選び出す感覚が湧いてこないのです。
なんか言いたいことと違うけど、どこを直せばよいかわからない。。
と思いながら書く毎日でした。
書かない日々が続くと着実に書く力が奪われていきます。
目的がない
ブログを書くなら投稿ごとに目的を定めた方が良いと感じています。
かつて、mixi全盛だったころに日記を綴っていたことがありました。
この時は「如何に、ちょっぴりお下品な文章を書いて人を笑わせるか」という指針を常に持っており(ろじっくパラダイスというサイトのイメージ)、
書いては見直し、
「ここの単語はいらない」
「この表現は詳しく説明しすぎており、
読者に想像させる余韻がない」
など修正をいれていました。
如何に笑わせるか、という目的があるために
それを軸にして推敲できるのです
(学生で時間たっぷりだっからそんなことができた部分もあるかもしれませんが)。
今はその目的が定まっておらず、軸もぶれぶれのことが多いです。
社会人なんだからもう少し真面目な文章を!なんて思っている影響があるかもしれません。
そのうち真面目にアホなことを書き始めます。
かつてはマクドナルドの店員さんが可愛かったことを2000文字くらいかけて力説したりしていました。
そんなアホな情熱をとりもどしたい。
日常を日常とさせてしまっていた
朝起きて、電車にのって、会社でデスクワークをこなし、残業して帰り、お風呂、睡眠という
毎日を送っていました。
毎日同じことをやっていれば気づき(直感に働きかけるもの)もありません。
当然書きたいことも生まれてきません。
同じことをやっていてもどこかしらに気づきはあるはずですが、それに対する感度センサーが愚鈍化するようです。
そこで、感度センサーをピン子にするべく
今までやらなかったことに挑戦することを常に意識しています。
いつもより一駅手前で降りて歩いてみる、
いつもと違う食事メニューを選んでみる、
トライアスロンに挑戦する、など些細なことで構いません。
チャレンジ意識を持ちつづけることが
センサーを泉ピン子立ちにさせるのです。
ちなみに、PCの前に座ってから文章を考え始めるのでなく
普段なにか気づいたらその瞬間にメモを取っておかねばなりません。
ブログの一番のメリット
長くなりましたが文章を書いて発信するということは、
自分自身を知るための良い材料となります。
何もかけないときは、チャレンジ精神が落ちていたり、何かクヨクヨ悩んでいるときです。
文章を書いてもしっくりこないときは、
自分自身の考えが、まとまっていないことを表します。
自分の考えを自分が把握できていない
ということです。
ちなみにこのブログしっくりきた投稿は2,3個でしょうか。自分と向き合って文章を練る時間をとれていないため。
上記のような気づきがあるだけでも、
ブログには十分効用があります。
今日の学び
【書くこと、ブログにはそれだけで意味がある】
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編集後記
久米島にINしました!
生憎の曇天ですが海がとてもきれいです。
一日一新
久米島
ブルーシールアイス