NOP

グループワークで感じた、「教えることで教えられる」の効果

IMG_2252

先日、3日間かけてセミナーに参加してきました。

このセミナーの特徴は、グループワークが多いこと。

一つの章が終わるたびに、セミナ参加者同士で

ペアを作り、その章で学んだこと・気付きをシェアするという流れでした。

教えることで教えられる

教えることで教えられる、という言葉を良く聞きますが、

その意味するところは

  1. 自分が知らないことは教えることができない
  2. 人にちゃんと教えるために一生懸命学ぼうとする
  3. 人に教えることで(教えることができない部分に気づき)己の足りない部分をしる
  4. 人に教えようと声を出すことで、五感を刺激し記憶に定着させる

などでしょう。

が、

上述した「教えることで教えられる」の効果は、結局メンバーによって変わります。

例えば

では、同じ内容を聞いてもそのあとの効果が全く変わってしまいます。

一見当たり前のようなことを聞いたとき

前者は何を聞いても「何か一つでも多く学びとって帰ってやる」と思うのに対して

後者は「なんで当たり前のことをいっってるんやろ。全部実践できとるし。 早く帰りたいわ」

なんて思ったり。

で、問題はグループワークがある場合、

後者は、グループ全体に非常に悪い影響を及ぼし得るということです。

「場の空気」がとてつもなく淀んでしまいます。

上手く取り繕うとしていても、温度差を隠しきることはできないのです。

自分一人ならまだしも、周囲の人に悪影響を及ぼすのは避けたいところ。

「場の空気」というのは非常に抽象的な表現ですが

やはり「空気」としか表現のしようがありません。

馬に水を飲ませるには

この様な状況から

「馬を池に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

という言葉を思い出します。

いくら会社が社員を教育しようと躍起になっても、本人にその気がなければ意味がありません。

連れて行き損です。

会社側から「折角労力かけて連れてきたのに、なんで水飲まないんだ!」とイライラしちゃいますしね。

会社がまず行わなくてはならないのは「馬の喉を乾かす」こと。

分かりやすいのは、危機感を植え付ける

などでしょうか。

教えるから教えられることはあるのですが、それはメンバーが互いに切磋しようというときにこそ、ということで。

自分自身、気を引き締めて行きますよ。

=====

編集後記

親族の予定があり新潟に来ています。

日本酒をがぶ飲みすることになりそう。。。

一日一新

燕三条駅

鶴齢、真野鶴