2014年からブログ、日記、メモ(Evernote)など、「書く」という行動を始めた。
約一年続けてきたのだけれども、思うことは
「もっと前から取り組んでおけばよかった」
という一言につきる。
なんでこのように思うか、その理由の一つが
”自分自身が「何が難しかったか」「何が分からなかったか」を忘れてしまう”
ということにある。
自身の課題を分析するために事細かに書くということを言っているわけではない(もちろん、それができるならやった方がいいだろうけど)。
「分からないことが分からない」という場合は
その言葉をそのまま紙にでもテキストデータにでも残しておけば良いし
もっと言えば単なる感情の吐露でも良いので何か記録しておけばよかった。
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幼少のころを思い出してほしい。
子どもの頃は、靴ひもを蝶結びすることが難しく、
マジックテープの靴をよく履いていた。
「蝶結びが難しかった」のはうっすらと記憶に残っているが
それがなぜ難しかったのか、なぜ思うようにいかなかったのかが分からない。
今では「できて当たり前」だから。
そのころはきっと
・手が小さかった
・手の筋力が未発達だった
・蝶結びの形(イメージ)がまだ頭の中に定着していなかった
・紐が嫌いだった?
などなど色々な理由があったのだろうと思われる。 が今は忘れてしまった。
なんとなく「難しかったなぁ、でもいつの間にかできるようになったな」という記憶がぼんやり残るのみ。
「同じ本は二度と読むことができない」
という言葉がある。
物理的に同じ本を手に取ることは可能だが、
そのときにどのような考え方・感性をもっているかは刻一刻と変化するので
必ず違う読み方をしてしまうというものだ。
これは本に限らずあらゆる経験に通じるはず。
だからこそ、自分自身が
「どのような部分に疑問を持ったか」
「どのような部分で苦しんだか」
「どのような部分で上手くいったか」
「どのような部分でハッピーに感じたか」
という、その瞬間を歩いた軌跡を残していくことは
たまたま同じ「その瞬間」を歩いている人の手助けになるかもしれない。
みんなそれぞれ生き方はあるけども
自分がこれまでに歩いてきた道を、ある人が(一瞬だけだとしても)歩くということは多々あるだろうので。
ということで、何で書くか、について書いた。
もっと、足跡を残そう。
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編集後記
目覚まし代わりにめざましテレビを見ているのですが、
ノリ?雰囲気?がやたらときゃぴきゃぴしていますね。。
エンターテイメント臭が強くなって、中高生みたいなテンションで、
耳障りなのでいい感じに目が覚めます(笑
一日一新
近所の山越えルートを自転車で走った。
車用の滑り止め(円形のでこぼこアスファルト)と、
傾斜(一番軽いギアでも回すのがつらい)
でなんとか登り切りました。
太もも筋肉痛です。