ゆっくり続けることの意味

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合気道の昇級審査を5月末に受けることになりました。5級の審査です。

昨年4月からはじめた、合気道。稽古に参加しない期間もかなりあったせいで、

1年たって5級の審査というのはかなり遅い部類にはいります。

「級・段をとること」を目的としておらず、20年、30年、40年と「続けること」を目的としているため

まったりペース取り組んでいます。

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ゆっくり続けることに意味がある(と思っている)

何かを始める際に、すぐ結果やメリットを求めることがありますが、

あえてそうせずに「とりあえずまったり続ける」ということも重要だと考えています。

続けることで「当初は想像もできなかった発見」ができるだろうからです。

級や段を追い求めてがつがつやるのも良いでしょうが、

その場合「級」「段」という言葉に意識が向きすぎてしまう危険性があります。

級・段は、資格と同じで、「ある程度の実力が目に見える形で証明される」というメリットがあるのは確かです。

しかし、段を持っていても(黒帯でも)力任せで荒々しい技をかける人はいます。

「資格を持っていたとしてもその人が必ず仕事がデキる人であるわけではない」というのと

少し似ている気がするのですが、ただ資格や段を持っているだけでは駄目で

何かの理念を持って、その結果の一部として資格・段がついてきているという状態の方が美しいと考えます。

理念というのは、例えば「技の綺麗さ」であったり「実戦を常に考える」であったりなんでもいいのですが。

「段」という外的要因を目的としてしまうと、短期的な動機づけとして大きな効果を発揮するものの、

それを達成した時にモチベーションがさがってしまうのですが、

上に挙げた理念という内的要因を目的としておけば長期間、緩やかにモチベーションをキープできます。

短期的に勝負できる力も必要ですが、長期的に勝負できる力も重要です。

長期的な力を身に着ける為に、内的要因による動機づけができ、かつ長期間取り組むことができる趣味を持ってみてはいかがでしょうか。

「道」という文字がつくもの(華道、茶道、剣道、柔道、ジークン道、合気道)がぴったりかもしれません。

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編集後記

背中の寝違えたような痛みが悪化し、予定していたトライアスロントレーニングを何もこなすことができませんでした。

軽いストレッチとマッサージをやっただけです。

一日一新

リンゴバター

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