【0001】イロトリドリノセカイ

今から2年ほど前のことです。
今日のような陽気の、ある晴れた日に、ある人と一緒に、近くの公園に散歩に行きました。

その人は公園までの道中、色々な話をしてくれました。

「水仙の葉とニラの葉はよく似ているけれど、水仙の葉には毒があるから
気を付けてね」「トリカブトは根の方が毒性が強いんだよ」など、
他愛無い話です。

そして、ある木を目前にしたとき、その人はおもむろに木の上を指さし
「見て、セキレイがいる。セキレイはつがいで行動するからすぐ近くにもう一羽いるはずだよ」 
と教えてくれました。

僕は、指さす先を一生懸命追いかけ、確かに、尾は黒く、雀より少し大きな可愛らしい鳥が
いること、少しだけ離れた箇所にもう一羽がいることに気付きました。

そして、その時、僕はショックを受けました。

二人は同じ道を歩いて、同じ方向を見ていた。
そこで、一方は鳥の存在に気付き、その鳥の名前や習性をも知っている。
それにも関わらず僕の方は、名前はおろか鳥の存在にすら気付くことができていなかった。。

このとき

「見えている」と「見る」とが
全く別の事であると気付かされました。

きっと僕も、幼少の頃は動植物に興味を持ち
色々なことにワクワクしていたはずなのに
いつの間にか好奇心を無くしていて
視界に入っていたセキレイの事をも気に留めない、
それどころか無意識にフィルタリングしてしまっていたのです。

そのときは、「あ、ほんとだ。可愛いね」なんて、口では言いながら
何とも言えない寂しさを心の中でかみしめていました。

この出来事が起こってから、僕自身に少しずつ変化が起こり始めました。

例えば、公園を散歩している犬を見ても
今までは「犬」という単語でまとめてしまっていたけども
色々な犬種がいること、同じ犬種でも一人一人(一犬?一犬?)
人間と同じように性格が違っていること

例えば、毎日同じ通勤路を通っていても
冬夜になれば甘い香りが鼻腔をくすぐり
その香りの先には白く美しい蝋梅が咲いている

など、小さな発見が増えていきました。

今考えれば当然と思えることを見失っていて
僕が過ごしている日常の中に本当に多くの気付きがあり

この時の感覚は、例えるなら、灰色だった絵に少しずつ色づいていくようなものでしょうか。
自身の世界が以前より立体的に感じることができるようになりました。

このきっかけを作ってくれた
僕の世界を色鮮やかに彩ってくれたその人を

僕は心から尊敬し

今、共に過ごせることを誇りに思います。

さて いざ文章を書こうとPCの前に座っていると
(プログラミング業務で日ごろからPCとにらめっこしていることもあり)
疲れ目が気になってきて、ここ数か月で近視度合いが増したのではないかと
懸念しております。

近視の原因の一つに、目のピント調節を行う筋肉の衰えあると聞きますが、
心(脳)でも細やかなピント調節機能があり、

「近いもの⇔遠いもの」「大きいもの⇔小さいもの」

をそれぞれ適切に捉えるためには
心のピント筋を柔軟にストレッチしておく
ことが必要なのかも知れません。

ある日突然見えなくなっている、と知って愕然とする前に。

傍からは 同じ景色を眺めているように見えていても
内では各々の関心の幅によって異なる景色が描かれているんですね。

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今日のまとめ

「心のピント筋のストレッチを行おう!」

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