【0011】心を置くこと・残すこと

一昨日のblogで常磐木学園・阿部由晴監督の講演会の話に触れました。
今日は、このときに感じた内容をもう一歩掘り下げてみます。

女子サッカーの練習時に、監督は「何をやってるんだ!しっかりしろ!!」というような指導の声を発しますが、「誰々が○○のポジションにいるのだから、お前は△△しろ」というような具体的な指示は極力避けているとのこと。

これは、先日書いた通り、「選手自身に考えさせ、選手自身に気付かせる」という
方針に基づき指導を行っているためです。

さて 「曖昧な叱られ方」をされた選手ははどこで気付きを得るのでしょうか。

それは「練習の最後に時間をかけてグランド清掃・整備を行っている」とき。

一日の練習でお世話になったグランドと対峙すると、
ふと「あの時はこうすればよかったんだ!」という発見がある、と。

ハードな練習を、ギリギリの、限界まで詰め込み、
終われば即解散!としないこと。
つまり最後に
「余白・余韻を残すこと」
が一見無駄の様に見えて物事の上達に
大きく寄与するということなんですね。
「サッカー以外の事がサッカーにつながる」という言葉も出てきました。

話変わって、私事ですが、今年の4月から合気道を習い始めました。
まだ稽古回数は少ないですが、毎回先生から

「残心」

という言葉を賜ります。
残心とは、技を終えた後も美しい所作を継続するよう注意を払うこと、
字の通り「心を残す」ということです。

相手を投げて終わり、では無く最後に必ず残心を意識するように、と稽古中に何度も言われます。
やはりここに、なにか、物事の上手く行くコツが隠れていそうです。

他にも、バスケットボールであれば、シュート後の「フォロースルー」を大切にしろ、だとか、
陸上競技では「実際のゴールの先に、イメージゴールを持て」と言われることがあります。

はたから見れば既に動作を終えていて、無用に見えるのだが
その先に意識を集中しろ、と。
「残心」という言葉に共通する部分が多くあるように私は感じます。

私たちの日々の暮らしのなかでも、心を残し、余韻を感じる余裕を
なくさないように心がけたいものです。
そのために、まずは普段の言葉遣いから気を付けてみてはいかがでしょうか。

例えば「忙しい」という言葉をよく使う人(私ですね!)

「忙しい」は「心を亡くす」と書きますが、
他のものに自分の心を奪われてしまわぬよう
少しだけでいいから、心をとどめることを意識しましょう。
「忙しい」という言葉を発しない。

日頃から「残心」を意識して、あらゆる物事が少しだけ重なって、つながり続けている状態を
保つことで、新しい気付きがあり、徐々に点と点が結ばれていくのだと思います。
長い人生で、一見意味の無い様な事に、少しだけでいいから心を置いて
コツコツ継続すればそれが大きな味わいをもたらす。

「無用の用」という言葉はこういうことを表しているのでしょうか。

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今日のまとめ

「残心で 斬新な 気付き」

(最後のまとめでぜんぶ台無し!)

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