【155】誠実であるために

誠実である、真摯であるためには「自責で行動する」しかありません。

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自らを振り返れば、

小さなころから次男という特性もあってか(?)兄の失敗する姿を見て、
こうすればうまくいく、こうすれば怒られないということを
見て育ったように思えます。

小学、中学に進み
「どうすればテストで良い点が取れるか」
「どうすれば先生に好かれるか・褒めてもらえるか」
という他己評価のみを意識し、「効率」という言葉を追い求めてきました。

そしてそれが今現在、仇となっています。

効率ばかりを追い求め、物事の表層だけを触ってすべてを知った気になっていたのです。
【短期的】に【目に見えるもの】に心を奪われていたとも言えます。

例えば、

「どこかに旅行に行くお金があるなら、何かモノを買いたい」

「人と話すときは用件だけを簡潔に伝えることがスマートである。
 世間話は無駄である」

「誰かと話をして協力する、コミュニケーションを取ること自体がボトルネックだから
 自己一人で完結できるようにならなければならない」

「小説など読む暇があるならビジネス書で実利に関連する知識を植え込みたい」

などでしょうか。

短期的な結果を出すための効率に目を向けるあまり
「自分がなぜ・いま・だれのために・これをやるのか」という問いを深めることもなく、
先日書いたように空芯菜の如く芯の無い状態で、漫然と一日を過ごしてきました。

意味を考えず、表面だけをなぞる癖がつくと、
人の意見に必要以上に影響をうけ右往左往します。

自分の軸がないまま、人の意見を鵜呑みにします。
そして、人の意見に乗っかって、仮にうまくいっている場合は良いですが、
失敗したときには「あの人のせいだ」と(心の隅のどこかで)考えてしまう自分がいます。

この思考が真摯・誠実と言えるか!って話です。

僕は小さいころからかっこいいおっさんになりたいと思っていました。
その成分は誠実・素直・真摯などの言葉で表されます。

人のせいにしたり、批難ばかりで改善点を出さなかったり、するのは何か違うんです。

そんなことを考え、改めて、自分が小さい時に思った
かっこいいおっさんになってやろうと
再び奮起している今日この頃でした。

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今日の学び
「誠実・真摯・素直であること」

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